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2012.09.02

より静かな場所へ

life is beautiful「Life is beautiful」
http://www.flickr.com/photos/75199686@N00/3030463571
2008年11月9日、10:33:55/Bùi Linh Ngân氏 撮影
※著作権は撮影者に帰属します



ご無沙汰しております。

毎日、今日はどんな美しい作品をご紹介しようかと
画廊のことを考えつつも、次第に記事を
書くことができなくなってしまって、今日に至ります。

今後は、しばらく 兎尾珈琲店 画廊 準備室 を更新
していく予定です。

準備室には、画廊にかけようと思っていたものの
できていない作品をあげていきます。
作品のみ・記事ほぼ無しの状態となります。
また、自分の撮った写真や、記事になり損ねたもの、
意味の無い言葉の羅列もあげる可能性があります。

兎尾珈琲店 画廊 準備室は こちら です。


どうぞよろしくお願いします。
兎尾珈琲店 店員

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2011.04.22

麻痺

TR-Treppenhaus_convert.jpg
かわいた音が ずっと続いて
めがまわる ...

何をしにきたんだっけ

グ ル グ ル の まんなかは
上だっけ 下だっけ

どこに 行こうと してたんだっけ
...

"Technisches Rathaus"(ミュンヘン市庁舎 技術部門)/Matthias Sebulke氏撮影


かつてUPしていたものの再掲(初掲2008年8月7日)。
当時の画廊は、こんな感じの記事が多かったように思います。

                                                                

2011.01.30

故郷の記憶

Julian_Onderdonk_A_Cloudy_Day_Bluebonnets_near_San_Antonio.jpg
Julian Onderdonk(1882-1922)/《A CLOUDY DAY, BLUEBONNETS NEAR SAN ANTONIO, TEXAS 1918》/カンヴァス・油彩/
テキサス州フォートワース、Amon Carter Museum


故郷の記憶。
ひとのこころに波打つ、やさしい幻。

曇天にけぶる青い花は、テキサス州の州花、ブルーボネットです。
花弁の形が、開拓時代の女性が被っていたボンネット(日よけ帽子)にBluebonnet.jpg
似ているところから、その名が付されました。
背丈は30cm程で、3月から5月にかけて州各所を青く染めます。
テキサスでは、毎年この時期に、家族でこの花を観に行くことが
慣わしになっているそうです。
(右は、アメリカ陸軍工兵司令部により撮影された テキサス
ブルーボネットの写真です)


ブルーボネットの波をこえ、子どもはやがて大人になり。
大きくなった家族は分裂し、各地に散っていきます。
それぞれの新たな繰り返しの中、複雑に織り込まれた記憶の目に ふと顔を出す
あの日のブルーボネット。
その青は、どのブルーボネットとも違う、同時にすべてのブルーボネットに共通する、
あざやかな、やさしい青。

故郷の記憶は、織り帰してゆくうちに無類の色合いとなり、その人をやさしく纏います。
多少ほつれたり、ささくれだっているとしても。
その人だけの持つ、せつなくいとしい幻影に違いないと 思うのです。

                                                                

2010.12.27

12月の虹

 Dawlish_Warren_-Devon_-England_-rainbow-6Dec2009_convert.jpg
「A primary rainbow and a secodary rainbow over Dawlish Warren, Devon, England.」
http://www.flickr.com/photos/66176388@N00/4162976385 2009年12月6日13時53分/Mark Robinson氏 撮影
※著作権は撮影者に帰属します(Creative Commonsの「表示」に相当)。


寒かったり
年末で忙しかったり
お酒をのむ機会が増えたり。

ゆっくり、静かな時間を過ごすことが難しい時期ですね。
(管理人は疲弊気味です)

皆様、今年一年は どのようなお年でしたでしょうか。

私は、「縁」というものを、とても考えさせられた年でした。
人やものとのつながり、出会い。
今年も、たくさんの人やものに助けられた年でした。
訪問して下さった方、拍手をして下さった方、コメントを下さった方。
頂いたもの全てが、誠実で、やさしく、思い遣りのあるものでした。
心から感謝いたします。

反面、私のコメント等で、不快感を与えたり、傷つけてしまったお客様もいるのではないかと、いつも
不安に思っています。 
もしいらしたら、心からお詫びいたします。本当にごめんなさい。

12月の虹。

どうか皆様の年末年始が、穏やかなものでありますように。
管理人含め、まだ年内の仕事が残っておられる方が 多いと思いますが、一息つきながら 働きませう。
大晦日や元日が お仕事の方(かつて自分のいた職場がそうでした)も、どうぞご自愛下さいませ。

                                                                

2010.12.21

《小天使(楽園)》

楽園1909_convert
《Angeleliai(Rojus)》/ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス/1909年/テンペラ・厚紙/47.5×62.0cm/リトアニア共和国国立M.K.チュルリョーニス美術館
※この記事は再掲です。一度目(2009年12月9日)に書いた文の後に、追記を加えました。
※再掲にあたり、絵をより鮮明なものに差し替えました。過去に頂いたコメントは、いったんしまいました (大切に保管してあります)。
※絵をクリックすると拡大します。


楽園。
時の軛(くびき)を逃れた 遠い約束の果て。

チュルリョーニスは、19世紀末から20世紀にかけて活躍したフランスの天文学者、カミーユ・フラマリオン
興味を示していました。
この作品は、フラマリオンの抱いていた火星のイメージに影響を受けているそうです。
残念ながら フラマリオンの論文は見つけられませんでした... しかし雰囲気だけでもお伝えしたいと思い、
《小天使(楽園)》 の解説の参考として付けられていた、フラマリオンの文章の抜粋を拾って訳しました。
稚拙な訳ですが、僅かでもフラマリオン、ひいてはチュルリョーニスの思い描く火星のイメージを感じ取って
頂ければ幸いです。 以下4行が 該当部分です。

何という素晴らしい朝焼けだろうか...
オレンジ色の植物が生い繁る島々で、花々や果実、良い香り、見たこともない豪華な建物に出会った。
幾つもの海が 澄んだ鏡のごとく広がり、幸福なカップル達はその光景に酔いしれ、海辺に詰めかけていった。
私の近くの女性は、胸の高鳴りから羽根を震わせ、花園にそっと片足をのせた...

フラマリオンは、火星には地球人よりもすぐれた種族がいるという仮説を示していました。
チュルリョーニスはその種族を「 小天使 」として、描いたのかも知れません。

画面右に、上昇する階段があります。
チュルリョーニスは、人が「 楽園 」より さらに高みに行くことができると、この作品で示しているそうです。

楽園の その先。
そこには、何があるのでしょうか。

*  *  *  *  *  *  *  *  *

2010年12月 追記
《小天使(楽園)》は、チュルリョーニスが妻ソフィアと結婚し、幸せ絶頂期に描かれた。
(芸術新潮 2010年10月号79ページより)

チュルリョーニスは 1907年、作家のソフィア・キマンタイテと恋に落ち、1909年 初めに結婚しました。
この年は、ロシア・サンクトペテルブルク と リトアニアを行き来し、展覧会に出展、作曲、ソフィアと共に
祖国の文化についての随筆集を執筆するなど、精力的な創作活動を行いました。
《小天使(楽園)》は、夏に描かれた20枚の絵のうちの1枚です。
楽園の高みをめざし、階段の先へ ― リトアニア独自の文化の確立にむけて、奔走していたチュルリョーニスは、
しかし一方で、家族を養うに必要である 定収入が得られないことに悩み、晩秋には不眠、鬱病に 悩むように
なります。
翌年にはサナトリウムに入り、翌々年(1911年)の春に亡くなりました。

そして、チュルリョーニスの没後80年。
リトアニアは 二度の大戦とソビエト連邦編入時代 を経て、1990年3月に独立回復を、宣言。
ソ連の武力制圧にも屈せず、翌年9月、同国から正式承認を勝ち取りました。
この一連の独立運動を指導したのが、政治家でチュルリョーニス研究家のヴィータウタス・ランズベルギスです。
最後に、ソ連に武力制圧を受けた時の、ランズベルギス氏の回想を載せておきます。

「…わたしはほかの議員たちと国会議事堂にこもっていました。すると外から歌声が聴こえてきたのです。(…中略…)やがて歌声は砲音にかき消されましたが、その夜、わたしは議事堂でチュルリョーニスの曲をピアノで弾きました。すでに死傷者が出ていましたし、先のことなど、まったくわかりませんでした。(…中略…)ただひたすらに弾きつづけていたのです。え?チュルリョーニスを弾いたのは、彼もまたリトアニアの独立を願っていたからかって?どうでしょうね、ただ、そのときは、チュルリョーニスが弾きたかったのです。同じ願いを抱いた友人たちのために」
(芸術新潮 2010年10月号89ページより抜粋)

                                                                
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