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カテゴリ:絵:チュルリョーニス の記事一覧

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2010.12.21

《小天使(楽園)》

楽園1909_convert
《Angeleliai(Rojus)》/ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス/1909年/テンペラ・厚紙/47.5×62.0cm/リトアニア共和国国立M.K.チュルリョーニス美術館
※この記事は再掲です。一度目(2009年12月9日)に書いた文の後に、追記を加えました。
※再掲にあたり、絵をより鮮明なものに差し替えました。過去に頂いたコメントは、いったんしまいました (大切に保管してあります)。
※絵をクリックすると拡大します。


楽園。
時の軛(くびき)を逃れた 遠い約束の果て。

チュルリョーニスは、19世紀末から20世紀にかけて活躍したフランスの天文学者、カミーユ・フラマリオン
興味を示していました。
この作品は、フラマリオンの抱いていた火星のイメージに影響を受けているそうです。
残念ながら フラマリオンの論文は見つけられませんでした... しかし雰囲気だけでもお伝えしたいと思い、
《小天使(楽園)》 の解説の参考として付けられていた、フラマリオンの文章の抜粋を拾って訳しました。
稚拙な訳ですが、僅かでもフラマリオン、ひいてはチュルリョーニスの思い描く火星のイメージを感じ取って
頂ければ幸いです。 以下4行が 該当部分です。

何という素晴らしい朝焼けだろうか...
オレンジ色の植物が生い繁る島々で、花々や果実、良い香り、見たこともない豪華な建物に出会った。
幾つもの海が 澄んだ鏡のごとく広がり、幸福なカップル達はその光景に酔いしれ、海辺に詰めかけていった。
私の近くの女性は、胸の高鳴りから羽根を震わせ、花園にそっと片足をのせた...

フラマリオンは、火星には地球人よりもすぐれた種族がいるという仮説を示していました。
チュルリョーニスはその種族を「 小天使 」として、描いたのかも知れません。

画面右に、上昇する階段があります。
チュルリョーニスは、人が「 楽園 」より さらに高みに行くことができると、この作品で示しているそうです。

楽園の その先。
そこには、何があるのでしょうか。

*  *  *  *  *  *  *  *  *

2010年12月 追記
《小天使(楽園)》は、チュルリョーニスが妻ソフィアと結婚し、幸せ絶頂期に描かれた。
(芸術新潮 2010年10月号79ページより)

チュルリョーニスは 1907年、作家のソフィア・キマンタイテと恋に落ち、1909年 初めに結婚しました。
この年は、ロシア・サンクトペテルブルク と リトアニアを行き来し、展覧会に出展、作曲、ソフィアと共に
祖国の文化についての随筆集を執筆するなど、精力的な創作活動を行いました。
《小天使(楽園)》は、夏に描かれた20枚の絵のうちの1枚です。
楽園の高みをめざし、階段の先へ ― リトアニア独自の文化の確立にむけて、奔走していたチュルリョーニスは、
しかし一方で、家族を養うに必要である 定収入が得られないことに悩み、晩秋には不眠、鬱病に 悩むように
なります。
翌年にはサナトリウムに入り、翌々年(1911年)の春に亡くなりました。

そして、チュルリョーニスの没後80年。
リトアニアは 二度の大戦とソビエト連邦編入時代 を経て、1990年3月に独立回復を、宣言。
ソ連の武力制圧にも屈せず、翌年9月、同国から正式承認を勝ち取りました。
この一連の独立運動を指導したのが、政治家でチュルリョーニス研究家のヴィータウタス・ランズベルギスです。
最後に、ソ連に武力制圧を受けた時の、ランズベルギス氏の回想を載せておきます。

「…わたしはほかの議員たちと国会議事堂にこもっていました。すると外から歌声が聴こえてきたのです。(…中略…)やがて歌声は砲音にかき消されましたが、その夜、わたしは議事堂でチュルリョーニスの曲をピアノで弾きました。すでに死傷者が出ていましたし、先のことなど、まったくわかりませんでした。(…中略…)ただひたすらに弾きつづけていたのです。え?チュルリョーニスを弾いたのは、彼もまたリトアニアの独立を願っていたからかって?どうでしょうね、ただ、そのときは、チュルリョーニスが弾きたかったのです。同じ願いを抱いた友人たちのために」
(芸術新潮 2010年10月号89ページより抜粋)

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2010.04.10

《永遠》

               Amzinybe_convert.jpg
    《Wiecznosc》/ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス/1906年/テンペラ・パステル・紙/72.9×62.4cm

「おお神よ!わが道を照らしてくれ、私はそれを知らないのだから」。
「私は行列と共に出発する。私は他の者も従うことを知り、我々が正道を踏み外さぬことを祈っている」。
「我々は暗い森をさまよい、野や谷を横切り、行列は永遠に続いていた」。

― 中略 ―
 
「この道はどこまで続くのか、おお神よ? あなたは問うてはならぬと言われた」。
「我々はいずこへ向かうのか、おお神よ? 道の終りには何があるのか?」。

チュルリョーニスの時代 p217、219より抜粋)

(文はチュルリョーニスの散文の一部。独立した作品で、絵の解説ではありません。個人的に通じるものを感じたので載せました)

                                                                

2010.01.21

《おとぎ話》三連作

   Bajka2.jpg

  Bajka1.jpg  Bajka2.jpg  Bajka3.jpg
左よりおとぎ話Ⅰ(73.3×63.1cm) Ⅱ(62.2×71.9cm) Ⅲ(72.4×62.8cm)/ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス/1907年/厚紙・テンペラ/リトアニア共和国国立M.K.Ciurlionis美術館  ※下3枚の画像はクリックすると大きくなります。


3枚でひとつの不思議な おとぎ話。
一番上の大きな画像は、3枚のうち最もよく知られている 2枚目です。

チュルリョーニスの作品には、リトアニアの民間伝承をルーツとするシンボルや “ 意味 ” がよく使われており、
この絵もそのひとつです。
そして それは、リトアニア人ならば特に勉強せずとも理解できる、と 生前、画家夫人は述べています。
実際、この作品は 第二回リトアニア美術展(1908)に出品されましたが、田舎から展覧会に来たお客さんが、
全部自分で分かるから説明は要らない、とガイドの説明を遮ったという話が残っています。
お客さんの話を 拙くて恐縮ですが 訳してみました...。  絵の内容について語っています。

これはおとぎ話だよ。ほら、人々が奇跡を求めて山に登っているところだ。
山には王女様がいて、強さや美しさ、賢さもたらしてくれると 皆 信じているんだ。
てっぺんに着いた - そう(ご存知の通り)、王女様はいない。代わりに弱くて小さな子どもが座ってる -
その子は タンポポの夜明け( dandelion’s dawn )を見て、声をあげて泣くんだ。


タンポポの夜明け...。  単なる直訳ですが、不思議な響きです。
どの絵にも タンポポの綿毛のような円がありますが、何か繋がりがあるのでしょうか...。
見れば見るほどに様々な発見があり、どんどん不思議さが増していくような気がします。
ちなみに、中央の絵の鳥は鳶(トビ)なのだそうです。

リトアニアの伝承が分からずとも...むしろ 分からない故にできる自由な解釈が、とても面白いと思います。

                                                                

2009.11.17

《祭壇》

       Aukuras_convert.jpg
       《Aukuras》/ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス/1909年/テンペラ・厚紙/58.8×58.9cm

「我々の人生は芸術という、永遠で、終りのない全能の祭壇で燃え尽きる...」
(一九〇八年十一月二十六日 ソフィヤ・キマンタイテへの手紙)
   『チュルリョーニスの時代』 p199 *1を抜粋

遠く、地平線まで続く海。
海辺には巨大な祭壇が立っています。
《おとぎ話(城のおとぎ話)》 で少し書きましたが、チュルリョーニスの作品に登場する段(階段)、坂道は、
" 休息や静けさへと上昇する道 " であり、異なる空間へ移行する過程をしばしばあらわしています。

この祭壇も、それを示すかのように、段ごとに異なる絵が描かれています。
1段目は動物に乗る旅人、2段目はドラゴンと戦う戦士、3段目は階段を上る天使、4段目はエジプトのピラミッド。
チュルリョーニス展(1992、セゾン美術館)のカタログによりますと、2段目で " 力の争い " の段階は終結しており、
4段目で " 聖なる空間 " が達成されているのだそうです。

壁面が見やすいものをもう1つ載せておきます。
ciurlionis_oltarz-ofiarny.jpg( ここからは私見になります。参考程度にどうぞ )

チュルリョーニスの描く象徴のいくつかは、ニーチェの影響
を受けているそうです。したがって、祭壇のそれぞれの絵は
ニーチェの著書『ツァラトゥストラかく語りき』に登場する精神
の三段の変化(駱駝→獅子→幼子)にインスピレーションを
得ている可能性もあるかと思います。

駱駝から幼子までの変化は具体的には以下のとおりです。
(あくまで素人解釈ですので、詳しく知りたい方は、関連
書籍をお読み下さい。)

駱駝(らくだ)は、既存の価値(=神)に跪き、迷わず重荷を背負うことを願い、それに耐え得ることに喜びを感じる精神です。
重荷をせっせと背負い、砂漠へ急ぎます。しかし、孤独 極まる砂漠で、獅子へと変化します。

獅子は、これまでの考えを破壊し、新しい価値をつくる権利や自由を獲得しようとする精神です。
神に跪くことを止め、自由を獲得するために、邪魔をする金色のドラゴン(既存の価値、つまり神)と戦います。
しかし、この時点では、勝利しても新しい価値をつくることができません。次の段階(幼子)に進む必要があります。

幼子は、新しい価値を創造する(できる)精神です。
駱駝であったことも 獅子であったことも忘れた、無垢な はじまりの存在であり、自由に動き、自分の世界を創造
していきます。

1段目の旅人を「 駱駝 」、2段目の戦士をドラゴンと戦う「 獅子(力) 」、3段目の天使を無垢な「 幼子 」とするには、
あまりにも強引過ぎますが、やはりどこか影響を受けているように感じられます。
(とはいえ、チュルリョーニスの宗教観や世界観は、ニーチェのそれとは異なりますし、彼はニーチェ以外の哲学者の研究も行っていますので、この絵は " チュルリョーニス独自の哲学 " が表れている作品に他なりません)

リトアニア ( Lietuva ) の国名は、一説には雨 ( lietus ) に由来するといわれています。
芸術の祭壇で燃え尽きた生は 空へ還り、やがて雨となってリトアニアを潤し。
人の心に 新しくて懐かしい花を咲かせていくのでしょう。

                                                                

2009.08.29

《プレリュード(騎士のプレリュード)》

 miestas_preliudas_convert.jpg
《Preliudas(Vycio preliudas)》/ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス/1909年/テンペラ・紙/58.9×70.4cm/リトアニア共和国国立M.K.チュルリョーニス美術館

街を駆ける 古(いにしえ)の騎士。

あかく霞む街は、チュルリョーニスが愛したリトアニアの都市、ヴィリニュス(Vilnius)が
モチーフではないかと考えられています。
ヴィリニュスは、14世紀初頭にリトアニア大公国の首都になり、発展してきた国際都市。
現在は、リトアニア共和国の首都かつ同国最大の都市として繁栄しています。
国際都市というと聞こえは良いですが、裏を返せば 幾度となく戦場となり、支配国が変わり、
決して穏やかとはいえない歴史をくぐってきた街でもあります。
thumb_convert.jpg

中央の騎士は、14世紀半ばよりリトアニア大公が使い始めた
紋章がモチーフであると考えらています。
ヨーロッパでも最古の紋章の一つである、この「騎士」が誰なのか
様々な憶測がなされていますが、定まっていないようです。
現在は、リトアニア共和国の国章(右図)として定められています。

チュルリョーニスの時代には、リトアニアはロシア帝国の支配下に
ありました。
それ以前に、リトアニアはポーランドの一地方と化しており、自治権を失っていました。
画家は生家ではポーランド語を話し、地元の学校ではロシア語で授業を受けていました。

赤茶けた街をつつみこむように 騎士はゆっくり駆けていきます。

街が焼かれようとも、他国に蹂躙されようとも。
大地に育まれた精神は、その土地の人々に連綿と受け継がれて。
麦ひと筋にも、レンガ一片にも。ほの温かに 宿り続けていくものなのかもしれません。

                                                                
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